昔のカメラに関する書籍や雑誌などによくある表現として
「価格の安い大衆機」というのがあるが、こういう常套句を
現在に生きるわれわれが鵜呑みにしてはいけないのではない
かという気が最近している。
例えば、昭和３６年(１９６１年)に発売された初代キヤノ
ネット（後にシリーズ化される）は、それまでの同機能のカ
メラに比べて半値近くも安いというので大いに話題になり、
２年半ほどのあいだに１００万台近くが売れ、カメラの大衆
化に貢献したカメラだというのが定説になっている。資料に
よると当時の発売価格は１８８００円である。同時期にＥＥ
搭載のカメラであったオリンパス・オートアイが3万円台後半
であったことを考えれば確かに安い。しかし、だからといっ
てキヤノネット＝大衆機＝安物と単純に考えるのは早計では
ないかとそう思うのである。
よくよく考えてみるならば昭和３６年における大卒の初任給
（大卒で１４０００円〜１５０００円あたり）より１８８０
０円という数字は高いのである。当時多数派であった高卒労
働者の家計からすれば１８８００円というのはかなりの高額
である。現在でいえば２５万円クラスのカメラというところ
だろうか。かくして当時の平均収入ということを考慮に入れ
た場合、キヤノネットはむしろ現在のわれわれが考える以上
に高級品ではなかったか。
それまでの同機能カメラと比較した場合に確かに廉価であっ
たわけで、カメラの大衆化に貢献したカメラであるというの
も事実であろうが、しかしながらそのこととキヤノネットが
安物であったということとはイコールでつなぐわけにはいか
ないのではないか。
当時は戦後まだ１６年しか経っていないという事情を勘案し
なければならない。キヤノネット発売の前年、昭和３５年に
池田内閣は「所得倍増計画」を発表したばかりであった。当
時はまだまだ冷蔵庫、電話、テレビなどの家電製品さえ十分
に行き渡っていなかった時代である。月給およそ一月〜二月
分というのは庶民がどうにかこうにか手を出せるというレベ
ルであり、決して「安い」ものではなかったはずである。そ
の後カメラの大衆化はどんどん進み、やがて本当に「安い」
と言えるレベルにまで値段がこなれてゆくが、少なくとも７
０年代前半までは一眼レフやレンジファインダーカメラはそ
んなに安いものではなかったのではないかと思うのである。
実際、１９６６年生まれの筆者は小学生のころ運動会でフジ
カＳＴ−７０１という一眼レフを父がずいぶん自慢げに首か
ら下げていたのを記憶している。つまるところ、その昔カメ
ラは今のわれわれが考える以上に「高級品」であったのであ
り、キヤノネットといえども決して「安物」ではなかった。
そしてこれはなにもキヤノネットに限らず同時代のその他の
カメラについても言えることではないかと思う。つまり、今
から考えれば「廉価な庶民向けの」という形容になるわけで
あるが、それはあくまでも現在から見た話であって、その発
売当時の時代背景を考えるならば決して「廉価な庶民向け
の」で片付けられないのではなかったか。正確に言えば「よ
うやく庶民にも手が出せる高級品」だったはずだ。だからこ
そ作りのしっかりしたカメラが多いのだと思われる。
キヤノネットは相対的に安かった。しかし同時にそれは十分
に高級機でもあった。それはキヤノネットを実際に手にとれ
ばよくわかることである。ボディは大きく頑丈な金属製であ
り、パララックスは自動補正される。シャッター優先のオー
ト露出はまだまだ発展途上とはいえ現在でもきちんとその機
能を果たすことが出来る。これはなかなか凄いことである。
キヤノネットを手にとり、ファインダーを覗き込み、シャッ
ターを切りつつじっくり触っていると、かつてこのカメラを
買った人の「高級品を買ったぞ」という誇らしげな胸の高鳴
りが伝わってくるような気がする。キヤノネットの図体ので
かさ、というのは「高級品」であるが故の大きさであって、
実はもう少し小さくすることは技術的に可能であったと思わ
れる。この時代のカメラにはそういう高級なものとしてのプ
ライドが感じられるのである。
「中古カメラに興味があるのだけれど何を買おうかな」とい
う方にぜひとも言いたいのだが、中古カメラに関する書籍や
雑誌などにある「大衆機／庶民向け」という常套句に惑わさ
れずにじっくりとカメラそのものを見てあげてほしいと思う
のである。そうすれば、決してそれが単なる「大衆機＝安
物」ではなかったことがあなたにもわかるはずだ。
さてカメラの大衆化ということに関してはキヤノネット以外
にも例えば１９６０年に発売されたオリンパスのペンシリー
ズがあるが、それについてはまた別の機会に書きたいと思
う。（などと格好をつけているが、実はペンシリーズを持っ
ていないだけのことです。ごめんなさい。）
Jazzy
